私の長男は出産予定日より3ヶ月早く、1302gの超未熟児で生まれました。
生まれる前2ヶ月ほど、妻は切迫早産で入院し、最後の2週間くらいはお腹の張りを抑えるための筋弛緩剤の点滴で口が閉まらないくらいの状況で頑張ってくれました。
生まれてから約3ヶ月間、長男は保育器の中で一人で頑張りました。その間母乳を家で取って、凍らせ、アイスボックスに入れて病院に運んだものです。日差しがきつい真夏の頃のことでした。
ある人から、「無理して生き延びても障害が残るくらいなら、、、」と言われこともありましたが、私は保育器の中の子供に「頑張れ!頑張れ!」とずっと言っていたのです。
その後無事に退院して暫くは平穏に暮らしていましたが、それもつかの間、半年後にはMRIの画像から脳性麻痺と診断されました。
医師からは、「脳性麻痺は治ることはありません。障害がどこに出てくるかは成長しないと分かりませんが、一般的には手足に出やすい。知的な障害が出るかどうかも成長しないと分かりません」と淡々と告げられたのをよく覚えています。
そこからリハビリや診察などで週に2〜3日くらい病院に通う日々が続きました。
小学校に入学する時にはてんかん発作が出たり、喘息の発作で夜中に咳が止まらなくなったりもしました。
妻の負担も年々大きくなるばかりで、どこか寄宿舎のような形で子供を預けられるところを全国探しましたが、適当なところはありませんでした。
もちろん、施設自体はあることはありましたが、お風呂に入れるのは週2日、食事は全て給食で、ご飯にふりかけを持ち込むことも出来ません。おやつはもちろんありませんし、おもちゃも本が数冊くらい。
私は子供が保育器の中にいる時に「頑張れ」と言ったのに、手に余ったら手放すということがどうしても出来ませんでした。子供にも、妻にも、生まれてきてよかった、生きててよかったと思って欲しいという気持ちが強くあったのです。
何年もかかって、自宅をベースに出来る仕事を探していましたが、なかなか見つからないし、思いつきませんでした。
そんなある時「セールスライター」という仕事が世の中にあることを知りました。自分なりにいろいろ調べてみて、これなら自分の能力や今までの経験も活かせるのではないかと思い、勉強を始めたのです。
セールスライターというのは広告の文章を書く仕事なのですが、これはアメリカではメジャーなダイレクト・レスポンス・マーケティング(DRM)というマーケティングの中の一部である「セールスレター」を書くという仕事です。
セールスライターはライティングテクニックだけでなく、マーケティング全体を理解し実践する力が必要ですが、やり始めてみるとその面白さに純粋にのめり込んでいったのです。
最初は自宅をベースに出来る仕事だからということでスタートしたのですが、いつしか、楽しくて気がつくと本を読んだり講座で勉強したりという感じになっていました。
勉強の甲斐もあり、ダイレクト出版株式会社の「認定セールスライター」の試験に合格することが出来ました。また日本を代表するマーケッター・セールスライターの楠瀬健之さん主催のパートナー養成会に参加し、実践の中でスキルアップしていく中で、パートナー養成会の中にあるいくつかのチームの1つコンテンツチームリーダーとして活動させていただくようになりました。
そして、会社は業務・システムが無事に統合出来た節目でもあり、2017年8月末で退職し、独立してやっていくことになりました。
2017年9月、神田昌典さんからお誘いいただき、アルマクリエイションズにて、コピーライティングを担当。コピーライティング、マーケティング関連の講座も担当しております。
どうぞよろしくお願い致します。